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これぞ昭和、豪快親父の昔ばなし

昔はよかったなー、って、どこぞ屋のじじーがいつもの、唸りながら焼き鳥をかじる、それが昭和、、
雪が大好きだった〜

雪が大好きだった〜

1987 Zermatt

1987 Zermatt

All Hokkaido Senior GOLF Championshi

All Hokkaido Senior GOLF Championshi

CANADA 2005 (Whistler)

CANADA 2005 (Whistler)

2006 Sapporo

2006 Sapporo

1975 FURANO KOKUTAI

1975 FURANO KOKUTAI

1988.Calgary Olympic

1988.Calgary Olympic

豪快親父の300ySchott

豪快親父の300ySchott

1977 Intercollege NUMAJIRI

1977 Intercollege NUMAJIRI

ALL HOKKAIDO Ama C-ship (Clark,CC)

ALL HOKKAIDO Ama C-ship (Clark,CC)

HOKUSHO SKI

HOKUSHO SKI

2014全道クラブチャンピオン大会.JPG

2014全道クラブチャンピオン大会.JPG

 この親爺も小学生の頃は、体が小さくて、小回りが効いていたんだよ。

 

 とにかく勉強はしなかった。(自慢です) そのかわり"人100倍"外で遊んでいた。

 

 冬はいつも屋根に登る。今と違って全てが三角屋根だから、雪が落ちて斜面になり屋根に登れるってこと。

 

 とにかく高いところが好きだったから、屋根に登っては飛び降りる。

前方回転・後方回転、何でも、、やった。。

 

 落ちると胸まで雪の中に埋まり、長靴が取れなくなる。裸足で家に帰って、おふくろにこっぴどく叱られた。もんだ。。 

 

 飽き足りない「やんちゃ坊主」は、田舎の商店街の屋根に雪がタンマリ積もると、2mくらいの隣の屋根通しが雪でつながるので、それを誰か゛先に何処まで渡れるかを競う。

 田舎と言っても、商店街だから3階建。。落ちたらただでは済まない。更には、今と違って軒には「巨大なつらら」付き。。ヘタをすれば命もない、、ビビる仲間を尻目に、豪快親爺はいつも先頭で渡りきったもんだ。

 

 

 学田スキー場までは、家から歩いてたっぷり1時間。毎日通った。どんな吹雪の日も、-30度日もね、何せ昔は、氷点下30度を下回ると学校が休みになったんだよ。飛び上がって喜んだ。。(^ _ ^)

 

 スキー場の前には、剣淵川が流れている(川幅は約20m)橋を渡って帰ると1時間以上、河を渡ればかなりの短縮となる。さあー、誰が最初に河を渡るか、(雪が積もっていて、河が凍ってるかどうかは、落ちてみないとわからんのである。落ちたら即死亡)

 勿論スキーを履いてである。土手から滑り降りれば河の半分くらいまでは行けるから、後は一気に走れば渡り切れる、、"はずだと""

 いつでも、どこでも豪快親爺は、先人を切った。。

 冒険大好き、一か八か、、勝負に挑む、、こんな精神を今でも持っていたら、ゴルフも上手くなったろうにねー、、( T _ T; )

 

 学田スキー場は、標高差約50mくらい、全長200mくらい、、とにかく飛んでないとつまらん。。圧雪車もないからスキーヤーは全員でゲレンデを踏んでからでないとスキーはできない。小学生は整備なんてやってられん。。とにかくジャンプ台を毎日作って飛んでた。あらゆる場所に。。

 

 スキー場に飽きたころには、倉庫の屋根から、お寺の屋根から、道路の崖、河の土手、神社の階段、裏山の沢、究極は「墓地」(既に時効だから話すが)墓石に雪を積んで、墓石を飛び越えて遊んだ事もある。そこでは怪我した仲間を出してしまい、親爺から往復ビンタの嵐、。ここだけの話だからないしょにしておいて下さい。

 

 おかげで日本人初の後方3回転宙返りを成功するまでになった。しかも、ジャンプ台もない、コーチもいない、どこからスタートしていいかもわからん、一か八か雪でトライしてみた、(しっこちびったが) 

 

  とにかく、ガキの頃は何でもやった、、

 

 しかし、そんなやんちゃも、もう50年以上前の話だからねー、

 

 それでも、そんな人生で得た教訓は、「なせば成る」である。馬鹿げたことでも、何でも、挑戦することから始まるのである。何が起きても動じない精神を心がけていれば、1時間連続腹筋もできるようになった。小樽から士別まで歩いて帰ってみたことだってある。15才の夏だった。(230km)

 

 ちなみに、伊能忠敬は、55才から日本地図を作るために71才まで日本中を歩いて測量して、それを成し遂げたんだってさ。小樽士別間なんて、鼻くそだね。しかも、道なき道や崖を走破したんだから、とんでも無い豪快親爺だー。(1800年、寛政12年〜1816年までかかったらしい)

 世の中には、凄い偉人が沢山いるんだよ、ねー、、

 

 さて、この豪快親爺はオリンピックもでたが、まだまだ、これから豪快列伝、、

もう一花咲かせるよー、、。。

 

 

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