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フリースタイルの歴史 用具編

  1980年代フリースタイルスキーが盛んになり道具も徐々に専用の物が沢山出始めた。スキーの滑走面には溝が入っててたんだけど、(知らないしょ)それが無くなり始めたのもこの時期からです。スキーは、オーリン・K2・フォルクル・ザ、スキー等が支流だった。
私も一時期はオーリンチームにいました。オーリン・チロリア・デサントでフルサポートを受けていたんだよ。
 それでも、短いスキーの強度はまだ足りなくて、直ぐに折れる物が多かったねー。苦労しました。
沢山もらってたけどね。ブーツは、ハンソンをはいてました。ハンソンのサイステーション ¥85.000
 40年前の8万円だよ。しかし、インナーはただのゴム。。足が冷たくて死にそうだった。
しかも、細くて痛い。激痛を堪えて毎日練習してたんだよ。
その後、サロモンが出来た。1982年にサロモン初のブーツで全日本選手権に行ったもんだった。志賀高原に。
後ろ側が開くリアエントリーのブーツは流行でねー、足入れはとても楽だったけど。なんせつま先は、
チョールーズでそれだけが救いだった。しかし、何よりの利点は、膝の角度を立てられることにあるんだよ。 
まーねー、ツーでないとわからんけどね。その大切さが。
 金具も解放置がまだ少なくて、私はチロリアに既製品のボディーに特注のバネを入れてもらい、
外れないようにしてもらっていました。その代わりバネが強すぎて、ちょくちょく爆発していたよ。((^_^))
 フリースタイルとは、3種目やって初めてフリースタイラーの時代です。エアリアル用+モーグル用+
バレエ用と3種類のスキーが必要なんです。皆何年も同じスキーを履いてたよ。
 スキーウェアーは、スキーウェアーらしからぬ様相で滑るのが流行っててねー。内地の連中は
ジーンズにセーター・カーボーイハットとかね。ニットキャップも被らず、サングラスにバンダナかスカーフを付けて、滑ってる練連中がだいたい、なんちゃって フリースタイラー。我々、フリースタイルを競技スキーとして真剣に取り組んでいるから、奴らとは一線をひき、一流のスキーメーカーからサポートを受ける事で普及と発展に努めた。そして、国内トップ選手としてのプライドと遊びのスキーからの脱却、FIS公式種目となって、WORLD CUPを参戦している選手として認知に努め。その頃は、全日本スキー連盟の競技部には入れず、教育本部にフリースタイル部があったんだよ。だから他の種目に負けじと頑張ってきたんだ。
 私達は、1984年正式にSAJナショナルチームとして、初の指定を受けることができた。今でも鮮明に覚えているスカイブルーのナショナルチームウェアーをもらった事が、ようやく市民権を得て認知された事がとても嬉しかった。 そして、1970年代フリースタイルスキーをゼロから育ててくれた先駆者達にも感謝したいね。我々はその基盤からオリンピックを目指したのである。皆さんも是非苦労してきた大先輩達の歩みが今のこのスポーツにある事を覚えておいて欲しい。 
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