時代は変わども
2019・H31 何か皆が変わろうとしているのだろうか、何か変化の流れが人を動かしているような気がする。
昭和でも、平成でも、令和でも、呼び名が変わっても時間は変わらない。
しかし、人は世論の雰囲気に流されてしまうのか、そんな気がするが、それは私の取り越し苦労なのか??
今シーズンで私のチームから4名の選手がモーグル競技から離れることになった。当然毎年のように引退選手がいるのは自然の流れだ。だが、確実に需要と供給のバランスは比例せず、供給が足りない。北海道のモーグル女子選手は、たつたの4名になりそうだ。
これも又、当然子供の人口が減っているわけだから、選手の誕生率も下がるのは必然的だ。
スポーツ選手は誰でも引退する。イチロー選手も、である。
しかし大切なのは、一生懸命頑張ってきたスポーツをどんな思いで引退するか、なのであ。計画的引退か、モチベーションをなくしたか、スポーツができる環境でなくなったか。
悔いなく引退する事は難しい事ですから、是非計画的引退が出来るように引退を目標設定して欲しい。
引退理由には様々な理由があるだろう。だが、是非目標をもって始めた事だから引退も目標設定して、そこまでやり遂げる事が出来れば、どんなに成績がでなくても達成感と充実感を持って引退出来ます。幸福な引退となります。
夢は大きく、目標は身近に設定するのがベストです。例えば、目標は3年後くらいに設定し、手の届きそうな近い設定にする。すると3年後の目標が1年で達成できるかもしれない。そしたら達成感と充実感でモチベーションが更にあがる。
夢は、一晩では勝ち取れないものです。目標の階段を一歩づつ上がっていった先しかないのです。そして、階段は一定ではない。30cmの段も有るが100cmの段もあるのです。更に、横には、誘惑という下り坂のスロープもある。
自分を振り返ると、10才でジャンプ競技を志し、中学、高校、大学と一戦の場で一心不乱に競技を続けてきた。12年間の競技生活だった。そこからフリースタイルに転向して7年、29才でオリンピックに出場することができ、計画的に目標であるオリンピックで引退出来た。
ジャンプを止めた時も卒業したら辞めると決めていた。というか、辞めざる終えない成績しか残せなくなったのは、大学2年生だったが、卒業するまでは全力で頑張った。
最後の試合は、奇しくも私の基盤を作ってくれた小樽での国体でだった。7位だった。
今の選手達は、引退が早すぎる、志し半ばで辞めてしまう子が多い。成績がでなくても、受験でも、環境が変わろうとも、どんな形でも良いからせめて10年は続けて欲しい。
どんな形でも10年やったら成績がでなくても、やり遂げた達成感もあり後にも自身に繋がり財産となる。この財産は何物にも変えられない、大きな貯蓄となり人生の最後までの定期預金になるのである。大きな心の支えになるのです。
スポーツは最終的には結果ではなく、経験の深さなのである。オリンピックに出場出来なくても、大会で1位になれなくてもそんな事は、たいしたことではない。本人が思いを込めて何処までやり遂げたかなのである。
しかし、本人やスポーツを理解していない親は、結果や周りの子供達と自分の子を比較したがり、直ぐに結果を求めたがる。
その為、上達しないのは自分のせいではなく、指導者だったり環境だったりと逃避にはしる。結果的に失敗の人生を歩むことになる。悔いの残る人生を歩む。
モーグル銀メダリスト原大智君が、競輪選手を目指し競輪学校に入った。あの狭き門をクリアーした。来シーズンは、モーグルはできない。本人はモーグルを辞めないようだが、世界の一線からは離れることになった。
凄いねー、一芸に優れた人は何でもできる。ね、やっぱり。でも、その決断も凄いよね。
引退したわけではなさそうだが、新たな挑戦者となる事が素晴らしい。今の栄光から離れるのだから。
トップ選手が別の道に挑戦する事は若い選手にも大きな影響を与える。原選手のようにメダリストから別の道に挑戦する事はとても素晴らしい事だと思う。
今やフリースタイルには、6種目がありモーグルに留まらず、エアリアルもハーフパイプもスキークロスでも何にでも挑戦して欲しいと思います。
自分の人生でスポーツが苦い思い出となることなく、タイミングを逃さないようにして欲しいと思います。又、一端辞めたけどやっぱり、やるわーーー!!
これでも全然良いよ。君たちは若い。まだまだ人生は長いよ。
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